「ねぇあんた、猫田と付き合うんだって?」
「ねぇあんた、猫田と付き合うんだって?」
ここはとても静かだ。そしてすごく……清らかで、心地良い。
気持ちよくてなんだかこしょばい感じがして、わぁぁぁと大きな声を出す。耳を澄ますと残響が聞こえる。声が撥ねかえってきてるんじゃなくて伸びていってるのが分かる。あまりにも毒のないこの空間にクスッと笑ってしまう。あぁ、クスッっていうのはこういう時に出る声なんだなぁ。
「幸福」という言葉はこの場所を知っている人がつくった言葉なんだろう。そう、ここはとても幸せでセミの音がうるさい。……んあ?
ジィィィィィイミーーンミーーンミンジィィィィィィィィ。わーお……そりゃそうだよな……。狂うほど陽気な太陽光がおてんばな夏の子の鳴き声をいっそう煽る。教室の窓からは青い空と青々しい葉しか見えない。エグいくらい色素の濃い葉は見ているだけで口の中に苦みが広がるようだ。
入学時は大きく感じた学習机も今では頼りない。狭くなったもんだとまじまじ見ていると所々に傷があるのに気づく。感傷に浸るなかでふと石川啄木の『戯れに母を背負いて そのあまり 軽きに泣きて 三歩歩まず』という短歌を思い出した。
切ないという感情はずるい感情だと思う。なんだか独善的だ。切ないからなんなんだよ。きっと、わすれちゃうくせに。
「泣いてんの?」
わ!誰だ!なんだよ。ちがう。今寝起きで。なに!
「ねぇあんた、」
え、なに?
「あー……。いや。なんか考え事してたみたいだけどどうしたの?」
なに隣座るの?用事まで時間あるからまだ寝ようかなぁって思ってたんだけど。
「学校でそんな寝るなよ」
いいだろ。
「……」
なに黙ってんの。俺の番?
「そうだよ、あたしあんたに質問したじゃん」
あー、考え事ね。これ伝えるの難しいな……。
「なんでよ。あんたのこと教えてよ」
隠してるわけじゃないよ。ちょっと複雑というか長いというか。
「筆談じゃ難しい?」
うん。ちょっと一週間くらい欲しい。
「そんなに待てないしそんな気になってないから」
ひどい!その気にさせといて!
「あははなにそれ!いいよ、いつか教えてよ。」
うーんまぁ簡単に言ったら「悩み」みたいなもんだよ。
「ふーん。」
ふーんて。
「だから泣いてたんだ」
あれは寝起きな。
「あたしさ、あんま悩んでる奴すきじゃないんだよ」
しょうがないだろ。俺も悩みたくないよ。
「あー……。なんかさ悩みって独善的じゃない?」
……。どういうこと。
「悩みって必ずいずれ忘れるだろ。」
「だからそんなの悩む必要なくない?」
……。
「もしもーし。」
……わすれちゃダメなのかな。
わすれてもその時は本気だったって。
それじゃダメなのかな。
「それでいいんじゃない?」
あれ。軽いな。
「ほらあたし悩まないから」
おぉ一本取られました。
「ねぇあんた、」
なに?
「あー……。ねぇ悩みって声のことか?あたしでよかったら」
ちがうよ。大丈夫。
「でもなんでも相談」
ありがとう。大丈夫だから。
「そうか……ごめんな。力になりたくて」
うん。すごく嬉しいよ。でもこれは俺だけの問題だから。
「そっか……。」
うん。
「わはは!」
なんだ急に。
「なーに神妙な顔してんだよ」
茶化すな!嬉しかったんだよ。悪いか。
「いいや全然。あんた今クスッて笑ってたぞ」
ふふふ。そりゃほんとによかった。
「ねぇあんた、」
なに?
「……あんたさ、」
おう。
「あー……用事って何?さっき言ってた」
誰かに呼び出されたんだ。ここの教室で待っててって。
なぁこの教室って使っていいのか?いつも人がいないけど。
「ふーん」
ふーんて。
あれ?猫田、お前こそ何の用があってこんな教室に?
「ふふふ、ちょっとあたしもこの教室に用事があってね。聞いてあのね…」